台湾の証言

李登輝(り・とうき、リー・ テンフイ)、台湾、元総統
「李登輝学校の教え」より
可哀そうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした、悪い国だった」と一方的に教育を受けていることです。日本は批判されていると思いこみ「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。

鄭春河(てい・しゅんが、ツェン・チュンホー、日本名:上杉重雄)、台湾人、1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。
「台湾人元志願兵と大東亜戦争」より
1993年(平成5年)8月10日、細川首相は先の大東亜戦争を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と断定して大きな波紋を引き起こした。自国の威信と名誉に及ぼす影響は実に甚大なるものがある。当時我々は志願までして戦争に赴いたが、戦後見捨てられ異国の民となった。それでも我々は聖戦に参加できたことを誇りとしていたが、「侵略戦争だ、間違った戦争だ」といふ首相の暴言には莫大な抵抗と憤激・慨嘆を禁じ得なかった。この間たまりかねて身分もかへりみず三度も首相に抗議書を送付した。
(細川元首相を皮切りに、その後、日本の政治家は謝罪の妄言を繰り返している。彼らが後世の笑い者になる事は火を見るより明らかである。)


中国の証言

昔の中国には、1895年(明治28年)、日清戦争に負けた後、講和交渉で全権を任された政治家、李鴻章(り・こうしょう、リー・ホンチャン)のように、日本から学ぶことこそが中国の近代化には必要であると主張し、中国全土に2000名に及ぶ日本人教師を派遣し、後の蒋介石(しょう・かいせき、シャン・カイシェック)周恩来(しゅう・おんらい、ゾー・エンライ)元首相等の日本留学の素地をつくったような、先見の明がある人物も居たというのに。後年、毛沢東が文化大革命で、洗脳政策の障害になる知識人層のほとんどすべてを抹殺したことは、中国に取ってあまりにも大きな損失であった。

孫文(そん・ぶん、スン・ウェン)、中国人、政治家、革命家、中国革命の父と呼ばれる。
「三民主義」より
日露戦争が起り、其の結果日本が露国に勝ち、日本人が露西亜人に勝ちました。これは最近数百年間に於けるアジア民族の欧州人に対する最初の勝利であったのであります。此の日本の勝利は全アジアで影響を及ぼし、アジア全体の諸民族は皆有頂天になり、そして極めて大きな希望を抱くに至ったのであります。
アジアには強い日本があるから、白人人種はアジアのいかなる人種も見下すことはできない。日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけではなく、アジア全民族の地位を高めた。

注:中国では孫文の著書は全て燃やされた

相林(そう・りん、シャン・リン)、中国人、1984年(昭和59年)、東海大学に留学、以後、中国民主化運動の中心的存在に。1998年(平成10年)に「中国民主化運動海外聯席会議」を発足、東アジア地域代表を兼任。
「正論」2005年(平成17年)8月号より
中国では、靖国神社は「戦後、A級戦犯を祀る目的で作られた軍国主義賛美の施設だ」と教えられました。ところが実際に来てみると、明治維新で亡くなられた方をはじめとする国のための戦没者を祀っていることを知り、驚きました。
私たち中国民主化運動に携わる者にとって、明治維新とは中国革命のモデルであり、維新の志士たちは尊敬の対象です。中国人からみれば、日露戦争はロシアの侵略から中国を守る戦いでした。ですから、私たちが尊敬する人々、そして中国を救ってくれた恩人が祀られているところ、それが靖国神社だとわかったのです。
そこで、日本に来る中国民主化運動の同志たちを、私はたびたび靖国神社に連れてきます。そして、靖国神社は私たち民主化運動の恩人たちが祀られているところだと説明すると、みなびっくりして、丁重にお参りします。


韓国の証言

韓国政府は戦後、徹底して歴史を捏造するために、「日本の歴史を擁護すること」を法律で禁じた。「日本の事を誉めてはいけない法律」を作る必要があったと言う事は、裏を返せばそこまでしなければ日本の事を誉める人々を止めることができなかったと言う事なのである。
「日本政府に依る朝鮮人の強制連行」というのも捏造である。「強制連行」どころか当時あまりにも多くの朝鮮人が内地へやって来るため渡航規制を強いたが、それでも書類を偽造して強制徴用者を装うなどして不正渡航でやって来た。勿論、勤勉な人々もいたが、現在と同じく犯罪者になる者も少なくなかったので、不正渡航者は強制連行ならぬ強制送還で、逆に毎年何万人もが朝鮮に送り返された。戦後日本政府は、帰国者が高額の渡航費を負担しなくても済むように国内の鉄道そして帰国船を用意し、朝鮮人に本国への帰国を推奨したが今度は密入国が後を絶たなかった。日本語も不十分で学歴もなく差別もある日本での生活は決して楽ではなかったが、それでも朝鮮の生活よりは遥かにましだったからである。
日本パチンコ業界のトップ「マルハン」の代表で、長者番付の常連でもある韓国系事業家、韓昌祐(ハン・チャンウ)2005年(平成17年)5月18日放映されたテレビ朝日の番組で。「『密入国』と言うのは格好悪いからボートピープルという表現を使うんです。」と笑いながら、戦後、船に乗って多くの同胞と一緒に日本に密入国した、その後、戦後のどさくさに紛れて日本での居住資格を得たと認めた。その理由を、戦後の朝鮮にいてもまともな教育も受けられず、生活も苦しくて暮らしていけなかったからと説明している。
もし、彼らが本当に「強制連行」で日本に連れて来られたと言い張るならば、何故、戦後の日本政府に依る帰国の推奨に従わなかったのか説明して欲しい。実際、当時の在日朝鮮人の75%(200万人中、150万人)が推奨に従い帰国をしている。そして勿論現在も帰国はいつでも自由である、誰も止めなどしてはいない。

彼らはわざと強制徴用を「強制連行」と言い換え、歴史を捏造した。元々「強制連行」などと云うものは一切存在しない、そして、戦時中の強制徴用は当然である、当時彼らは日本人だったからである。しかし、朝鮮半島においてはほとんど男性しか徴用されず、そして、朝鮮系日本人の自由意志を尊重した政府は、内地と違って国家総動員法(国民徴用令)の適用も緩め拒否をした者への罰則の流用を控えた、しかし逆に徴用を自ら志願する者も少なくなかった。日本人、台湾人を徴用するのに朝鮮人を徴用しないのは差別であると、彼らからの要望で朝鮮人徴用が実現したという背景もあったからである。
そして、強制徴用された朝鮮人と日本人の関係は概して良好で、強制徴用者には当時の日本人ホワイトカラーの3倍から5倍の高い賃金が支払われ、帰国時には各地で盛大な歓送会が行われた。政府は強制徴用者の帰国船への乗船を優先したため、20万人以上いた強制徴用者のほぼ全員が政府の推奨により帰国した。しかし、徴用以外の自分の意思で日本へ渡航した者達は帰国を渋り帰国推奨運動も後半になると困難になって来る。乗船直前に港から失踪する者も多数出て来るようになり、更には、やっと帰国させても後にまた密入国で戻って来る者も多かった。

1955年(昭和30年)8月18日付朝日新聞には「65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えている」と書かれている。マルハンの韓昌祐以外に、ソフトバンクの孫正義の祖父や父らも当時の密入国者である。本来は「強制送還」の対象であったのに戦後の動乱に乗じて特別永住資格を得、そして「強制連行」されたと言い張っている訳だ。我々は決して差別をしているのではない、絶対に言っている事をそのまま鵜呑みにしてはいけない、絶対に警戒をする事が必要な民族であると当たり前の事を言っているだけなのだ。
1959年(昭和34年)の日本政府の記録に依れば、強制徴用の為に結果在日となった韓国、朝鮮人の総数は61万8千840人中僅か245人であった。1983年(昭和58年)の在日本大韓民国青年会独自の千人強対象の聞き取り調査でも、徴用で連れて来られた、と答えた者はほんの僅かで、更に、その内の40%は徴用を自ら志願したとも答えているのだ(当時の朝鮮では強制徴用で日本に行けば家が建つ程のお金が貰えると話題になり志願するものが続出したと云う伝聞を裏付ける調査結果となっている)。日本政府の調査に基付けば、99.96%は、自分の意思で日本に渡航して来た者達で、そして、その中には戦前の不正渡航や戦後のどさくさに密入国して来た不法滞在者達も多く含まれるのである。
「朝鮮人強制連行」という言葉も、在日韓国、朝鮮人が日本の政府や自治体からゴネて数々の特典、恩恵(想像を絶する程の恩恵がある為、彼らの多くは日本に帰化をしないのだ)を享受する為に、また3世、4世からなんで日本になど移住したのかと責められた場合の言い逃れの為に、後から創作した造語である。それを少しでも日本人が口にすると、徒党を組んで押しかけて来て言論を封殺してきたことは周知の通りである。
「強制徴用」者には内地人より高い賃金が支払われ、歓送会が行われて、日本政府の負担で帰国した。確か当時ソ連が、4万人以上の朝鮮人を(「強制徴用」では無く)実際に「強制連行」した筈である、その人達ははたしてどの様な扱いを受けたのだろうか。それに対しての謝罪、賠償を韓国はソ連に対して求めた事はあるのだろうか。

後、今回は割愛するが、日本兵として戦地に赴いた朝鮮系兵士が略奪、強姦を行ったという現地人の証言も多い。勿論、日本人にそういった行為が一切なかったと言うつもりはない、しかし1件は承知しているが軍規により厳罰に処せられている。翻ってソ連軍やアメリカ軍などが星の数ほど強姦をしても、メディアさえそれに触れなければそれは無かった事として済まされてしまうのだ。
統計に拠る限り韓国における性犯罪の発生率は、世界的に見ても極端に多い。実は日本における在日韓国、朝鮮人に依る性犯罪の発生率もその人口比から考えると異常に多いのである、特に、最近世間を騒がせた大事件になると、そのほとんどと言っても過言ではない。しかし、日本式通称名(通名)に依る報道が基本の為、気が付かないのである。彼らに言わせれば、実名での報道をすることは差別になるのだそうだ(何故なのだろう?)。また、彼らは三国人という言葉も攻撃する。しかし、終戦当時、朝鮮人という言葉にはすでに侮蔑の意味が含まれていたので、日本人は、戦勝国人も敗戦国人も意味しないこの新語を、差別を意味しない新語として彼らに配慮をして使い始めたのだ。しかし、日本人が主権を失ったことに乗じた彼らの非道な行いの数々が、この新語にも強力な侮蔑の意味を込めてしまったというのが真相だ。

朝鮮人・三国人という言葉が差別用語になったのも、在日が本名を隠して日本名でなければ生活出来なくなったのも、すべては彼らの残虐非道な行為が原因だ。しかし、彼らは我々の警戒心を差別だとして攻撃して来た。危険な集団に警戒をするのは当然の行為だ。それをして欲しくなければ行動を改めるべきなのだ。現在でも在日における犯罪者の数は日本人の数倍だ、そして凶悪犯罪になればなるほどその比率が増えるがほとんどが本名では報道されない為に気付かないだけなのだ。

それから、【朝鮮進駐軍】と【李承晩(り・しょうばん)ライン】、この2つの言葉も必ず押さえておいて欲しい。

【ねずきちのひとりごと:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」】
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
当時日本は、戦後の6年8ヶ月間の占領期間中、有史以来始めて国家の主権を失いました。この日本の無力な状態、原爆投下によって打ちのめされた状態、そして戦争で男手を失い無防備になった婦女子に対して、朝鮮人は強姦、無差別殺戮、土地の不法略奪、金品略奪、銀行襲撃、警察襲撃などの極悪非道行為を行ないました、GHQの記録に残っているだけでも4000人以上の殺害記録があります。

【李承晩ライン - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/李承晩ライン
朝鮮人達は、日本へ不正・不法入国しておきながら強制連行で連れて来られたと嘘を言い、帰国推奨運動で無料で帰国させようとしても逃げ回って帰らなかった。
日本政府は常習的犯罪者や密入国者を韓国へ強制送還しようとしたが、韓国側は受け入れを拒否。そして、李承晩が日本人漁船員を44名殺傷、約4千名を収容所に入れて人質に取り脅迫した為に実施出来ず、交換条件として凶悪犯罪者も含めて多くの在日が末代まで日本に居座る事になった。

ある在日一世が孫に語ったという言葉:
『「成功の秘訣は、日本の混乱にうまく付け込むことだ」在日一世の朴相○は、孫の明○に語った。
日本の敗戦は、我々在日朝鮮人にとってまさに幸運の始まりだった。日本の治安組織が麻痺状態となり如何なる不法行為も咎める者がいなくなったからだ。
そして朝鮮の独立組織が公然化するに伴い、自分たちは、戦勝国民だという声が沸きあがった。実際、それまで上役だった日本人を殴るなど想像すらできなかったが、実際やってみると阻む者は全く存在しなかった。
日本人の家財や金銭を奪いとっても日本人の若い娘をさらって犯しても、一般の日本人はもちろん、警察官ですら我々朝鮮人の集団には手出しはできなかったのだ。
仲間のある者は、働いていた軍の施設から小銃や軍服を多数持ち出してきた。そのとき我々は、神のような力を持ったように思った。日本の警察官は、サーベルしか持っていないのだ、小銃を持った我々は無敵だった。』

シル米国代表1894年(明治27年)7月29日、当時韓国在住
日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。
こうした日本の動機は韓国の知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。

ヘンリー・ランズダウン、当時のイギリス外相
朝鮮は日本に近きことと、一人で立ち行く能力がなきが故に、日本の監理と保護の下に入らねばならぬ。

ドーハム・スティーブンソン、当時の米国朝鮮外交顧問
朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は人民の財を略奪している。その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。

ヘレン・ミアーズ、アメリカ人、東洋学者、ミシガン大学、ノースウエスタン大学講師、GHQの労働諮問委員
「Mirror for Americans」より
公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行なわれたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行なわれたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。
日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分たちは何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それにうながされて行動したのだ。

2002年(平成14年)11月5日、大阪サンケイホール「石原慎太郎講演」より
韓国の日本の統治の問題。あれは合法的にやって、しかも世界が是として、べつに外国から文句が出たものでもない。しかも韓国、朝鮮人が自分たちで選んだ道なんだ。その判断を、ある意味で冷静に評価したのは韓国の大統領だった朴正煕(ぼく・せいき、パク・チョンヒ、日本名:高木正雄)さんだ。私も何度かお目にかかった。あるとき、向こうの閣僚とお酒を飲んでいて、みんな日本語がうまい連中で、日本への不満もあるからいろいろ言い出した。朴さんは雰囲気が険悪になりかけたころ「まあまあ」と座を制して、
「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている。」、「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ。」と言う。
「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人 がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う。」・・・

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日本は伊藤博文韓国統監も含め決して日韓併合に前向きではなかった、西ドイツが東ドイツとの統合を望まなかったように、あるいは韓国が北朝鮮との統合を望まないように、片方の負担があまりにも大きいからである。朝鮮は資源が特に豊富であった訳でもなかった。実現した背景には、地政学上の重要性と同時に一進会を始めとする朝鮮側からの懇願があったからである。併合反対派であった伊東博文の暗殺によって、併合が実現した事は皮肉であった。
日本がを朝鮮を植民地にしたという出鱈目には言葉もない、当時、朝鮮人は日本人だったのである。韓国、北朝鮮の主張は植民地という言葉の定義をも破壊してしまった。

李成玉(リー・ソンオ)1910年(明治43年)日韓併合時の朝鮮全権大使の言葉
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を持つことはできない。亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本人は違う。日本人は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外に我が朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。

金満哲(キム・マンチョル)、韓国人、済州島出身の評論家
同胞韓国人は嘘つきばかりである。私はそのことが恥かしく、情けない。「韓国は独力で近代化を成し遂げた」って。馬鹿を云うな。韓国の近代化は日本の莫大な資本と人材の投与によって成し遂げられたものである。「韓国は日本の統治に抵抗をもって対抗した」だって。馬鹿馬鹿しい。同胞韓国人はロバのように日本の統治を甘受したのが実態だ。ごくごく一部の抵抗はあったが上から下までみんな日本にあこがれ、日本人になろうとしたのだ。(注:1910年(明治43年)8月、彼らは日本人になった時、皆万歳と叫んだはずだ)
「韓国が独立したのは韓国の手によるものだ」に到っては呆れてものも言えない。誰も日本からの独立など望んでいなかったのに、アメリカに強制的に独立させられたというのが真実だ。
「漢江の奇蹟」だって!笑わせる。日本から賠償金という名目で、莫大な経済援助と技術援助で成し遂げられたものだ。これだけお膳立てしてもらえば、どんな未開民族でも経済成長するだろうよ。
「日本文化の祖が韓国」とは恐れ入る。一体、併合前の朝鮮半島のどこに「文化」なるものがあったのか。併合前、我々先祖は乞食同然(注:実質一般民衆は500年間、李王朝の奴隷であった、というか民衆以前の問題で未開で文明的生活すら享受できていなかった)の生活をしていたではないか。
現在の韓国の姿、まさに他人により作られた砂の楼閣だ。虚飾と偽善と歪曲とおごりに満ち満ちている、真似と依存と歪曲が全てである。このような韓国の本質を知らず「韓国こそ世界一」などとほらを吹いて自己満足している本国、在日の韓国人は正気の沙汰ではない。これが恥でなくてなんであろうか。

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氏名、言語を奪われ、というのも事実ではない、洪思翊(こう・しよく、ホン・サイク)中将(戦犯としてフィリピンで処刑された)のように朝鮮名のままで軍の上官になった人もいたし、漢字のみが重用されなおざりにされていた朝鮮文字ハングルを普及させたのは当時の日本政府である。しかし、今度はこのハングルを尊重するあまり、韓国政府は、1970年(昭和45年)より漢字教育を廃止するという愚挙にでてしまった。2年後には選択科目としては復活させたが漢字は二度と普及しないままに終っている。

朴鉄柱(パク・チョルジュ)、韓国人、1954年(昭和29年)5月に「日本文化研究所」を設立、「日本と韓国」を出版したために「反共法」に引っ掛かり3年半の刑を受けた(著書はすべて没収、焼却)。出獄後も「韓日文化研究所」と名を変えて活動。1967年(昭和42年)名越二荒之助氏(後に高千穂商科大学教授)らが訪韓した際に語った言葉。
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決っして日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。「事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし」というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争、この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり日本の戦争こそ「聖なる戦争」であった。

金完燮(キム・ワンソプ)、韓国人、作家、評論家、彼は反日教育の為に日本に対して強い嫌悪感を抱いて育ったが、日本人に直接会って、その印象が教えられていたものとはあまりにも違っていたことがきっかけとなり歴史を研究。
2001年(平成13年)にウェブサイトで原稿を掲載をしたことにより1日に数百人からの脅迫を受けた、そのサイトは政府の検閲機関に依って通告なしに閉鎖された。周りからは危険だから原稿の出版を思い留まるように勧められた。
2002年(平成14年)「親日派のための弁明」を出版し一時は逮捕され投獄の危険もあった。政府はこの本を「青少年有害図書」として書店での販売を禁止した。昔と違い投獄、また出版の禁止には至らなかったが、彼はその後、何度か暴行を受け負傷している。
2004年(平成16年)には「親日派のための弁明2」を出版し、その後莫大な罰金刑も受け現在は出国禁止処分中、家族は国外に逃避している。
「親日派のための弁明」より
韓国と日本は(戦後)アメリカに占領された状態で、アメリカは日本を再興させてはならないという意思を持って、韓国において強力な反日洗脳教育を行った。反日感情を造り出す上で基本となったのが、歪曲された、間違った歴史認識です。
出版後、何人かの韓国人の学者から「誰かが、一度はするべき仕事だ」と言われました。すでに多くの専門家は承知していることですが、彼らには勇気がないのでしょう。
私達は歪曲された教育により、韓日併合は日本の強圧で締結されたと信じているが、事実は全く違う。合併することだけが朝鮮の文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道で、当時の朝鮮の志ある内部勢力の強力な世論に従い、日本が合法的手続きを経て行ったとみるのが妥当だ。
今日の日本の問題は反省と謝罪がないという事にあるのではなく、過去に対する清算があまりに行き過ぎたことにある。それゆえ近年、日本で起きている歴史を見直す動きは、間違ったことを正すという当然の動きであり、右翼の蠢動とは全く別物である。
「親日派のための弁明2」より
韓国人が、朝鮮王朝が続いていたらもっとましな状況だったに違いないと考えるのは、当時の朝鮮の実態をまともに知らないからだ。きれいな町と家、整った身なりなどで描写されたテレビの歴史ドラマを見て、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば静かで平和な国家を維持できただろうと錯覚するのである。しかし、日本が来る前の朝鮮がどれほど悲惨であったかという事実を知らなくてはならない。朝鮮は当時、世界の中で最も未開で残酷な社会であり、日本が進出しなかったら、朝鮮は世界で最も遅れていただろう。今日の韓国の発展は、全的に日本人のおかげなのだ。
日帝時代は法がなくても生きられる社会だったという。私の親戚が言ってくれた言葉である。「あの時代を狂おしい程に懐かしむ人達も多い。だから集まるたびに演歌をむせび泣くように歌う」。私の両親が言ってくれた言葉である。「『今よりあのころの方が良かったと思わないか?生きる楽しみもあって』と言うと、同窓の99%は同意する」。私に1930年生まれの先輩が言ってくれた言葉である。「北海道に徴用に行った朝鮮人の賃金は、当時の日本人ホワイトカラーの月給の3倍から5倍で、勤労時間も徹底して遵守され、朝鮮人は幸せだった様に思える」。チェ・ギホ先生が私に言ってくれた言葉である。このすべてが、反日洗脳教育を受けて成長した韓国の戦後世代にとっては、天地がひっくり返る程衝撃的な証言である。

そして、韓国の「司馬遼太郎」とも評される同国トップの歴史学者、現役ソウル大学経済学部教授の李榮薫(イ・ヨンフン)は、1995年(平成7年)に慰安婦の強制連行はなかったと発言して全国放送で土下座をさせられながらも、再度、世論の集中砲火を浴びながら、2007年(平成19年)には「大韓民国物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ」の出版を敢行した。
韓国の教科書の内容は教科書を書いた歴史学者が作り出した物語で事実ではないと、長年教えられて来た日本人に依る植民地収奪論を明確に看破している。時代の流れはもう止まらない。

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最後に、竹島問題について。

安秉直(アン・ビョンジク)、ソウル大学名誉教授、経済史学者
独島(竹島)問題は歴代政権が解決できないから不問に付していた問題です。日本は1905年に既に独島に対する国際的認定を受けているからです。我が国は現実的に領有しているというだけです。もしこの問題が国際司法裁判所に行ったら、当然文献と証拠をたくさん持っている日本が勝つことになります。現政権がこの問題を国際司法裁判所に持って行かないのもこのためです。

金完燮(キム・ワンソプ)、韓国人、作家、評論家
「親日派のための弁明」より
香港の経済誌「ファーイースタン・エコノミック・レビュー」が1996年(平成8年)に独島(竹島)問題に関連して行った世論調査を見れば、独島(竹島)を韓国の領土だと考える国は世界にひとつもないという事が分かる。
韓国政府は日本がアメリカの占領下で主権がなかった時に、島を無断占拠していまだに自国の領土だといっているが、これは隣国が無力だったときに盗みを働くのと同じ行為である。

ゲリー・ビーバー、アメリカ人、韓国のガチョン医学大学で長年講師をしていた。
2006年(平成18年)、独島(竹島)が日本に帰属する新証拠を韓国の古文書から発見し、それを発表した為、大学から解雇された。
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